幼少の頃より共働きの両親の元で育った私は、今思い起こせば、知らず知らずのうちに両親から多大な影響を受け、それに導かれるかのようにして今の職業に就いた気がします。
私の幼少時代の記憶といえば、、、
ファックス機に受信され何枚も溜まっている図面に目を通しているサッシ職人の父親。
昼夜構わず電話が鳴り、そそくさと準備して出かけてしまう介護士の母親。
私にとって、それがあたりまえだった毎日。
「リウマチってなんだろう?」「断熱窓ってなんだ?」「尊厳死って?」
時折会話の中で繰り返し使われている呪文のような言葉の数々。
そんな環境で育ったせいなのでしょうか、知らず知らずと大人になるにつれ、また、幼少の頃には「呪文」にしか聞こえなかった言葉の意味をようやく理解出来るようになった頃から、住宅や福祉に携わる仕事に興味が湧いて来たのは、ごくごく自然なことでした。
元々、絵を描いたり、何かを作ったりすることが大好きで、高校卒業後は「建築」の分野に進みました。
その建築を学びながら、その分野の中で最も興味を引かれていったのがバリアフリー、地域社会の分野でした。
やはり血は争えないものですね。そのときこそ、両親から受け継がれているDNAをもの凄く感じました。
「福祉住環境コーディネーター」の資格を取ったのもその頃です。
私の目指す家づくりは「誰もが利用しやすい建築=ユニバーサル フリー住宅」まさに「温かくて家族全員が笑顔で暮らせる家づくり」。
家族ひとりひとりの生活・家自体の機能性を大切にした家づくりを心がけています。